(Jp) (2004) (顔峻)

まず知っておくべき名前として、王凡、豊江舟(バンド「ザ・フライ」)、左小祖咒(バンド「No」)、舌頭、王磊、竇唯を挙げられる。これらの人々はここ十年来の中国ニューミュージックを代表する糸口であり、またさらに、新たな世代のミュージシャンたちに深い影響を与えた先駆者である。音楽という言語においても、文化的態度においても、これらの人々とバンドはすでに歴史を塗り替え、さらに、見たところ、さらに引き続きそれを変えていくようである。すでに音楽的な伝統を失った国にあって、ロックはすべての非アカデミー派ニューミュージックの伝統であり、これらの名前はまた「中国ロックのゴッドファーザー」崔健のステージから分離し、背反または進化して来たもので、さらに若いエクスペリメンタルでアバンギャルドなアンダーグラウンドミュージシャンに言わせれば、彼らこそがニューミュージックの地平線なのだという。「fm3」「Ronez」「B6」「頂楼的馬戯団」「Junkyard」「リン外両位同志」<訳注1>「李剣鴻与第二層皮」、鍾敏傑といったミュージシャンがnoise、experimental electronic、avant-gardeやsound artの面でその世界を切り開いているとき、それらの名前はすでに音楽文化の歴史と結びついてしまった。
中国大陸以外のニューミュージックについて語るための十分な紙面が許されていないのが残念だが、例えば台湾には「零与声」から王福瑞とPei、そして香港のDJ Deeと、さらにはバークレーの姚大鈞とロンドンのXper. Xrなどがいる。これらの地域の様子はまた中国大陸とは大きく異なっており、それはこれらの地域では極端な厳しい文化封鎖が起こっていないことによる。つまり、世界からの音楽情報が徹底的に封鎖されていること、それが即時にコピーしたり、それを学んだりできないという状況を生んでおり、さらには「影響による焦り」(The Anxiety of Influence)、または世界の一部としての存在など話題にも上らず、これが中国大陸がその他の国々や地区と違う最大の特徴なのである。
このほか、我々がこれから語ろうとする「ニューミュージック」とは、ロックからノイズ及びIDMまでのさまざまな音楽を指しており、それらは中国においてまだまだ新しいものなのである。

中国のロックは今日までにすでに20年の歴史を持つ。それが資本主義に向かって日々狂ったように奔走し、変化している社会であったとしても、生活方式と文化情報の封鎖によって、それら大衆的、若者的な音楽にはずっと共鳴が欠け落ちていた。それは最初から精神の開放と革命を意味しており、パイオニア芸術と見なされ、たとえそれが叙情的なポップメタルであろうとも、アンダーグラウンドの英雄のような孤独と悲壮感を漂わせていた。1993年、左小祖咒がバンド「No」を結成し、豊江舟がバンド「ザ・フライ」を結成し、秋野がバンド「子曰」を結成して初めて、「リン類」<訳注2>(この言葉は最初はオルタナティブロックの翻訳語として出現した)と呼ばれたアンダーグラウンド・ロックシーンがそこに誕生した。同時に、台湾の大型レコード会社の投資によって、ソロアーティストの張楚(ジャン・チュー)、何勇(ハー・ヨン)、竇唯(ドウ・ウェイ)が当時の学生とその他の若者に受け入れられ、それによって人々のロックに対する単一的なイメージも変わった。当時人々の注目を集めていなかったバンド「清醒」(Sober)のボーカリストは、その後有名となるレコード会社「モダンスカイ」を設立し、さらにブリティッシュなカラーシャツを身につけた最初の人物で、ますます多くの若者をブリットポップに引きずり込んだ。
1997年前後に生まれた「アンダーグラウンドロック」の概念は、また北京以外を出身地とするロックがパンク思考の鼓動のもとで新興し始めたことを表しており、彼らは真の革命者のように、慌しく、荒荒しく、激しく、さらに十分な音楽的技術を持っていなかった。多くの人たちが「パンク」とはすぐに行動することであり、抑圧された青春と抑圧された社会の現実に「ファック!」と叫ぶことだと理解し、ここから騒々しく、混乱し、極端な音、そして怒り、歪曲された歌詞があっという間に噴き出し、2000年ごろにはその情熱は今度は同じように政治的色合いを持つnu-metalへと転向していった。この時期、北京ではバンド「No」による類別できないnoise/no wave/experimental rock、バンド「子曰」の暗く奇怪なベースと歌詞がロックファンを不安にさせ始めた。というのも、それまでこれらのスタイルを耳にしたことがなく、さらには外国のアンダーグラウンドミュージックの影響を受けて生まれたものでなかったからだ。バンド「穴位」(英国籍華人がボーカルである)のブリティッシュインデペンデント、バンド「ザ・フライ」(日本人ミュージシャンが二人参加している)インディーパンクも、これまでとはまた別のスタイルを持っていた。さらに王凡が彼の最も初期の作品作りを終え、sample & collage、noise rock、synth experimentalとともにさらにミステリアス、そして宗教的な色彩に満ちた奇怪な曲を作った。
2000年前後、北京にはブリットポップとバンド「スーパーマーケット」のような電子ポップミュージックが出現した一方で、新疆ウイグル自治区からやってきたバンド「舌頭」が重く、複雑なリズムと、ダークで荒々しいサウンドで反逆者のリーダーとなった。そうなのである。彼らの難解な歌詞には現実に対するあざけりに満ちていた。もう一つ有名なバンドに南方出身の「盤古」(Punk God)があり、彼らの音楽は非常に貧弱で、まるでバンドを組み始めたばかりのような慌しく、猛々しく、パンク式のフォークロックであったが、政治的な態度が非常に明確で、その後右翼民族主義者となる前まで、彼らは北京以外を出身地とする多くの熱血青年を鼓舞した。今日、熱狂、憤怒の流れが逐次収まりつつあり、「舌頭」はすでにアンダーグラウンドサブカルチャーの象徴となってしまい、彼らのメンバーは同時にworld music/folk scene入りもしている。外と中心(北京)の対立も消えうせ、取って代わったのがunderground metal、punk、experimental rock、electronicaなどさまざまな人脈圏の形成であり、彼らは確かに同一文化から生まれたものの、今日ではすでにはっきりとした境界線を引いている。
竇唯と王磊は生産率が最高で、また最も人々に名を知られたインディペンデントミュージシャンであり、彼らの影響は一時期に留まらない。竇唯はまず、有名なロックバンド「黒豹」のボーカリストとして名を馳せ、その後ソロアルバムがまたローキーで、自愛的だったために学生に人気を博したが、2000年以降、あるジャズバンドのドラマー、清々しく優美な映画音楽家、民族音楽とアンビエントの融合者となり、同時にexperimental electronicバンド「fm3」の協力者にもなっている。ますます禅的な心境に近づいている竇唯と全く反対なのが王磊で、彼は90年代中盤にフォークロックで有名となったが、1999年以降には中国でも最も早いtechno rockバンドを結成し、今はabstract hip-hop、reggae dub houseからunderground clubまでをカバーし、それぞれの代表的な人物となっている。
中国のニューミュージックの特徴は「reinvent」にある。この国では今だに音楽・映像製品の自由な輸入が禁じられており、最新の外国音楽情報を手に入れるのは非常な至難の技で、さらにはそれに伴ってやって来るはずの文化や音楽哲学など語るべくもない。王凡は独特の思いもかけないような手段で世界のそれとは全く違った音を産み出し、さらに彼自身は全くそのことを知らないのである。RonezはRichard D. Jamesと比べられるnoise/experimental electronicミュージシャンでまずウォークマンでコラージュとノイズを研究した人物だ。一方で、情報と権力の欠乏から来るプレッシャーがあるミュージシャンに非常に大きな創造性と感情を噴き出させ、それはまさに原始的といえるものであり、システム化されたクリエイティブとは違うものなのである。
このため、アンダーグラウンドロックとブリットポップが成長を始めてから、「reinvent」が国際化に取り代わり、最も情熱的な人たちはシーン全体がバイブレーションを失ったと感じ始め、再び見たいと望んだのは2001年前後の「木推瓜」(短い間存在したアンダーグラウンドバンド)であり、ますますアメリカ的になっていくパンクヒーロー「脳濁」(Brain Failure)、またはLovageのようなセクシーなブルースバンド「沙子」ではなく、また男が女の格好をし、ロックを民俗パフォーマンスに結びつけた「二手メイ瑰」<訳注3>(Second Hand Rose)でもなかった。後に上げたバンドは、どれも新たに出現した多くのロックファンの追っかけ対象となった。
しかし、p2pソフト、非合法FTPダウンロード、海賊版CD、密輸とメールオーダーがすべてを変え、若いミュージシャンはMAX/MSPを学びながら、blogにMego、ReRとAlien8の論評を書くようになった。国際化が若者にもたらした良い点といえば、ロックシーンにさらに多くのインディーパンクが出現し、彼らは中国の大都市における青年の最後の怒りをそこに持ち続けていることである。そして電子ミュージックが二年間のうちに突然新興し始め、上海のB6(彼はプロデューサー、グラフィックデザイナー、ISMUとDust Boxなどのバンドのメンバーでもある)がJean Michael Jarreにほめられたという話があちこちに広がった。Sulumiがオープンさせたレーベル「山水」は、日本の19-Tとコラボレーションを行っている……noiseとsound artでは、台湾のサウンドアーティスト・姚大鈞(Dajun Yao)が自身のネットワークラジオを使って深く影響を与え、鍾敏傑、王長存といった、これまで誰も聞いたこともなかったlap-topミュージシャンは、彼の影響を受けて発掘された新たなジェネレーションである。
今日、30歳前後のミュージシャンを最も重要な力と言えるのだろうか? もちろん、40歳以上でも崔健だけは今だに創作活動を行っている。バンド「第二層皮」のスタイルは灰野敬二になんとなく似ており、彼らのギタリスト・李剣鴻のアルバムは東京のモダンミュージックで売っており、彼はその他の杭州のミュージシャンとnoise/sound artの人脈圏を作り上げている。王凡の作品は、noise、post minimalism、experimental ambient、quiet noise、tribe industrialなどさまざまな分野に近いものの、それでも混沌とした神秘的な宗教的色彩を持ち続けている。バンド「fm3」は静かなambientから激しいnew minimalism、さらにはCageのようなprepared instrumentを中国の伝統楽器に用いて変調(modulate and transformed)させており、これらはすべてヨーロッパの音楽評論家と同業者にほめられている。voice experimentで、毒のある歌詞と各種のpercussionを組み合わせた「頂楼的馬戯団」(Top Floor Circus)は、avant folkと宗教儀式のようなライブパフォーマンスでその他のバンドとは違った空間を作り出し、彼らのライブは時にはビジュアル、パフォーマンスアートと組み合わされる……おもしろいのは、彼らは皆伝統文化の愛好者で、仏教、道教と民俗文化の影響があちらこちらに見られる。
最後に話しておきたいのは、中国にはimprovised music sceneがないということである。王凡はかつて短い間だが、パフォーマンスを行っていたことがあり、最良のアンダーグラウンドプレイヤーによって彼の宗教的雰囲気、noise rockとpsychodelicな叙事詩を引き出すことに成功していた。しかし、実際には中国にはジャズとアカデミー派前衛音楽の基礎がなく、これらの二つの分野は今に至るも非常にお寂しい限りとなっている。演奏技術、即興交流能力と「音楽」の制約を突破するという考え方はまだまだ限られている。王凡が他人とのコラボレーションを止めると、残ったのは蘭州騒音協会(Noise Association of Lanzhou)がたまに行うパフォーマンスだけになってしまった。ここ二年ほど、北京の「美好薬店」(かつて大量のパフォーマンスアートを行ったことで有名である)、上海の「頂楼的馬戯団」もそこから重視されるようになり、彼らは時に手を取り合ってpsychodelicと打楽器の大騒ぎで終了するパフォーマンスを計画した。5月から6月にかけて、わたしはsamplerとして、バンド「リン外両位同志」の元ボーカリスト、バンド「野孩子」の元ドラマーと臨時のバンドを組織して、巡回演奏を行った。もし「fm3」をここに加えれば、それで全部となる。この点からすると、中国のニューミュージックはやっとスロットルを踏んだばかりだと考える。
1993年、雑誌「Wire」に中国ロックの全面的な報道が掲載された。2003年、そこに掲載された記事はヤマツカアイ、大友良英が台頭してきた頃の様子で王長存、「Ronez」などのミュージシャンを形容した。いかにせよ、我々は「共産主義中国の古き城壁の下におけるロックの反抗」などという雑誌『タイム』のようなばかばかしい話を語り合うのではなく、時間があるならば、音楽によって交流したいと思う。大歓迎である……

顔峻:音楽評論家、詩人、ライブ計画者、独立レーベルSub Jam経営者、現在北京在住。
subjam@hotmail.com
213-2408, Chenguang Jiayuan, Shi Li Pu, Chaoyang District, Beijing, China 100025

「リン外両位同志」<訳注1>:「リン」は「口」の下に「力」。
「リン類」<訳注2>:「リン」は「口」の下に「力」。
「二手メイ瑰」<訳注3>:「メイ」は「王」ヘンに「攵」。